序章 亡命者たちの鏡に映る国
わたしたちは戦争を知らない。
けれども戦後という語りに包まれて育った。
憲法に「戦争はしない」と書かれた国で、
天皇は“象徴”とされ、
自由と平和と民主主義が「空気」のように与えられた時代。
だけど、その空気にはわずかな不協和音が混ざっている。
口に出せば壊れてしまいそうな、
語られないものの気配――それが、いつしかわたしたちの国語になっていた。
「祖国とは国語である」と言ったのはシオランだ。
もしそれが真実なら、
わたしたちが継承してきた祖国とは、語られなかった語りの集積なのかもしれない。
たとえば、昭和天皇の戦争責任は学校では深く語られない。
憲法や敗戦についての歴史教育は、焼け跡と経済復興で薄く塗り直されている。
わたしたちは「自由」を与えられたが、
その自由が何と引き換えに成立しているのか、語る機会を持たないまま大人になった。
祖国は存在している。
だがその祖国について語る言葉が、わたしたちの手元にはない。
だからこそ、「日本人である」と口にするとき、
わたしたちはどこかで、自分自身を亡命者のように感じてしまう。
語れぬ歴史。
語ってはならないように教えられた象徴。
そして、「語ることで何かが壊れてしまうのではないか」という恐れ。
この沈黙こそが、わたしたちの国語であり、
わたしたちが亡命者のように感じる理由なのだ。
かつて、祖国には「神聖不可侵」という言葉があった。
それは天皇を神格化するためのものではなく、
むしろ政治責任を及ぼさないための制度的言語として、大日本帝国憲法のなかに設計されていた。
その語法は、敗戦後の象徴天皇制にも形を変えて引き継がれ、
わたしたちの時代まで、「語られぬこと」として続いている。
わたしたちは祖国を持っている。
しかし、語るべき祖国の語彙を失っている。
だから、わたしたちの問いは単純である。
この沈黙のまま、わたしたちは祖国に属していると言えるのか?
この書物は、そんな沈黙から始まる。
わたしたちは祖国を取り戻したいわけではない。
祖国を“語り直したい”のだ。
それは過去への回帰ではなく、象徴秩序の再構成=レコンフィギュラシオンである。
国家を語る語彙の配置そのものを、
倫理と言語の側から、もう一度組み直す試みである。
わたしたちは、
誇りのない祖国に、倫理を与えたいと思う。
語られなかった記憶に、語りの裂け目を開きたいと思う。
亡命とは、祖国を離れることではない。
語ることを奪われたまま、その国に留まりつづけることである。
わたしたちは、
言葉の空白を抱えながら、言葉によって祖国をつくり直すことができるか?
その問いを、裂け目から始めてみたいと思う。
第一章 象徴の裂け目――神聖不可侵、語られなさ、そして国家
わたしたちは、天皇陛下について語るとき、
自然と声の調子を落とし、言葉を選び、ある種の沈黙を携える。
それは畏敬であり、慎みであり、
そして同時に、どこかで学ばされた語らなさの文化でもある。
学校の授業で、昭和天皇の戦争責任が語られることはほとんどなかった。
その名前が教科書に出てきても、それは無名性に包まれた敬称として現れ、
具体的な言葉や行為は、語られずに済まされてきた。
語らぬことで守られてきたものがある。
わたしたちは、それを軽々しく否定するつもりはない。
しかし同時に、語らぬことで何かを語れなくなってしまった構造に、
今こそ目を向けるべきではないかと思う。
戦後日本国憲法は、天皇を「日本国および日本国民統合の象徴」と定めた。
この短い一文は、一見して簡素で明晰だ。
だが、それが示すものは、明快な意味ではなく、むしろ意味の欠如そのものである。
「象徴する」とは何かを意味し、何かを指し示すことのはずだ。
しかし、ここでの“象徴”とは、
なにを象徴するかを明言してはならない象徴である。
それは、語られることによってではなく、
語られないことで維持されてきた象徴性なのだ。
この構造は、敗戦直後の占領政策によって確立された。
GHQの占領下、マッカーサーは天皇を処罰する代わりに制度として保存するという決断を下した。
その目的は、日本人の精神的安定であり、政治的統制の持続だった。
つまり、「天皇の責任を追及しないことで、日本人を従わせる」という制度設計が行われたのである。
これは、象徴を「空白として設計する」ことで成立した国家再建であり、
言い換えれば、語られないことによって語らせる支配構造だった。
だが、この構造は、戦後に突然生まれたものではない。
すでに大日本帝国憲法の時代に、同様の「空白の装置」が制度として存在していた。
そこに登場するのが、「天皇は神聖にして、侵すべからず」という一文である。
この「神聖不可侵」は、しばしば神格化や超越性の象徴と解釈されがちだが、
実際にはまったく逆である。
「神聖不可侵」とは、天皇に政治責任が及ばないようにするための構文だった。
統治権の源でありながら、その行使は臣下の建議によって行われる。
その構造は、バジョットの憲政理論を参照しながら設計された、
いわばイギリス型立憲君主制における中空的主権である。
つまり、天皇とはもともと「語るべき存在」ではなかったのだ。
その沈黙は、戦後に突然押しつけられたものではなく、
むしろ近代日本が一貫して依拠してきた、象徴の構造そのものだった。
しかし、戦後はこの「語られなさ」が、制度として固定されすぎてしまった。
戦前の「神聖不可侵」は、形式的には語れないが、
政治的には一定の象徴的機能を果たしていた。
しかし戦後の「象徴天皇」は、
語られず、動かず、ただ在ることそのものによって機能するという構造に近づいていく。
このとき、象徴とは「意味を運ぶ装置」ではなく、
国家の裂け目そのものとして機能し始める。
わたしたちは、その裂け目を語らずにきた。
そして、語らないことでしか象徴を扱えない社会になっていった。
語ることなく保たれてきたものは、
同時に語ることを拒む構造でもある。
いま、わたしたちが必要としているのは、
この沈黙を非難することではない。
沈黙の形式を、語り直す倫理と文法を獲得することだ。
象徴とは何か?
語られないとは何か?
そして、その語られなさに、わたしたちはいかなる祖国性を見出すのか?
それが、わたしたちのレコンフィギュラシオン=再構成の第一歩となる。
象徴の裂け目――神聖不可侵、語られなさ、そして国家
ラカンによれば、人間の主体とは、言葉の外ではなく、言葉の裂け目から生まれる。
わたしたちは、完全な自己として誕生するのではなく、
〈他者〉=象徴秩序のなかで、「呼びかけられること」によって主体になる。
このとき、象徴の中心には「欠如」がある。
父はすでにいない。
神は語られない。
国家は完結しない。
だからこそ、象徴秩序は常に不完全な構造の中で機能しつづける。
この不完全性、あるいは中心の不在――
それがラカンの言う「象徴的去勢」である。
戦後の天皇制を考えるとき、この象徴的去勢の構造は非常に示唆的だ。
天皇は、日本という共同体の中心に位置づけられながらも、
政治的には無力であり、憲法的には「象徴」とされ、
実際には語られないまま存在する。
つまり、そこには〈他者〉としての天皇=象徴秩序の中核にある欠如が、
制度として明確に配置されている。
このとき、天皇とは「何かを意味する存在」ではなく、
“意味されないまま、意味を可能にする存在”へと変容している。
ラカン的に言えば、天皇は「去勢された父」であり、
その沈黙こそが、国家という象徴秩序全体を支えている。
「神聖不可侵」とは、その意味で、
法的な去勢の形式として理解し直すことができる。
それは、天皇を神とするための言葉ではなく、
むしろ、天皇を人間として責任の外に置くための制度装置である。
天皇は政治の中心にはいない。
しかし、中心にいないことで、逆に国家の中心となる。
この構造は、象徴的主体を“欠如を引き受けた場所”に置くことで、社会全体の言語構造を安定させるという、
ラカンの父=名付けの父(Nom-du-Père)に対応している。
わたしたちは、ここに「亡命者としての日本人」という主題の源泉を見る。
亡命とは、国家の外にいることではない。
国家という語りの中にいながら、その中心が語られないことによって、自らの位置を定められない状態である。
天皇という語られぬ象徴のもとにあるこの国家では、
国民もまた、象徴秩序の裂け目に立ち尽くすしかない。
わたしたちは、国家の一部でありながら、
国家を語る言葉を持てない。
それは、語るべき中心=象徴が、
もともと「語られてはならない」構造に置かれているからだ。
そしてこの「語ることのできない中心」こそが、
わたしたちに亡命的な感覚を与えているのである。
だからこそ、
わたしたちは象徴を語り直す必要がある。
沈黙を破るのではない。
沈黙の形式を理解し、それを語る文法を編み直すのである。
ラカンの理論が教えてくれるのは、
「欠如を欠如として保持する主体」こそが、
もっとも深く象徴を引き受けているという事実だ。
語られない象徴のもとで、
語ることを失ったわたしたちが、
それでも語りはじめるとき、
そこに初めて、祖国の再構成=レコンフィギュラシオンの可能性が開かれる。
裂け目の沈黙、祖国のかたち
わたしたちは、
語られてはならない中心のまわりを、
静かに旋回しながら生きている。
その中心には、
天皇という名の、語ることを禁じられた象徴が置かれている。
語らないことで守られ、
語れないことで制度化され、
語った瞬間に何かを壊してしまうような沈黙が、
わたしたちの国語の起源となった。
「神聖不可侵」
その言葉は、神の権威を語るものではなかった。
むしろそれは、人間を責任の外側に置く構文であり、
聖と俗を分離し、国家の中心を無垢な形式にするための言語だった。
そこに責任はない。
だからこそ、そこには語りもうまれない。
ラカンは言う。
象徴の中心には常に欠如がある。
去勢された父だけが、言語の構造を可能にする。
ならば、
わたしたちの祖国は、
最初から語られぬものによって支えられていたのかもしれない。
この沈黙を否定することは、
祖国そのものを否定することではない。
むしろ、この沈黙をどう語るかこそが、
わたしたちに残された倫理であり、形式であり、希望なのだ。
祖国とは、
一枚の地図ではない。
一冊の教科書でもない。
それは、語られなかった言葉たちの集まりのようなものだ。
そしてわたしたちは、
その沈黙の周囲に留まりながら、
いま、語ることを選びはじめている。
次の章では、
その“語られなかったもの”が
いかにしてわたしたちの語彙の空白になっているのか、
記憶、責任、国家という枠組みから問い直してみたい。
第二章 記憶なき国――敗戦・責任・沈黙の継承構造
わたしたちは、敗戦を知らない。
だが、敗戦を語る言葉の欠如のなかで育った。
祖父母世代は語らなかった。
親の世代は曖昧に避けた。
わたしたちは、学校で「戦争があった」とだけ教わり、
その戦争が、誰にとっての責任だったのかを知らないまま、大人になった。
空襲、原爆、シベリア抑留、沖縄戦、東京裁判、敗戦国、占領、復興。
バラバラの記号はある。
だが、それらをつなぐ語りの主語が存在しない。
わたしたちは、
祖国の記憶を持っていないわけではない。
ただその記憶を、誰として語っていいのかがわからないのだ。
「日本人として」語ろうとすれば、戦犯になるのではないかと怖くなる。
「個人として」語れば、歴史に対して無力な傍観者に堕ちてしまう。
戦後の語りは、個別化され、断絶し、制度のなかに継承されなかった。
そこには、「誰かが責任を引き受けていない」という感覚と、
「誰もが語ってはいけない」という空気が共存している。
その空白こそが、
わたしたちが“記憶なき国の国民”として育った理由である。
本来、戦争に敗れた国は、
死者を悼み、責任を問われ、物語を語り直さなければならない。
それが喪の倫理であり、語りの国家である。
しかし、日本ではその「喪の形式」が成立しなかった。
天皇の退位もなければ、
正式な戦争責任の謝罪もなかった。
国家の謝罪はあっても、誰が謝ったのかがわからない謝罪だった。
靖国神社は慰霊の場でありながら、
語ることの争点になりつづけた。
原爆は語られるが、加害の語りは常に「賛否の対立」に飲み込まれる。
「平和」は語られるが、「喪」は語られない。
わたしたちは、
祖国の死を、きちんと弔っていない。
ラカンにおいて、喪とは単に「失ったものを悲しむこと」ではない。
それは象徴秩序において、“もうそこにない”という事実を言語化する作業である。
つまり、喪とは、失ったものの代わりに「語り」を構成するプロセスであり、
主体が欠如を引き受けながら再構成される運動である。
もし国家がこの喪を遂行できない場合、
主体は失われた対象aに囚われつづけ、語るたびに自己を破壊してしまう。
わたしたちが「戦争を語ると疲れる」「敗戦を語ると空気が凍る」と感じるのは、
まさにこの喪の不成立=象徴化の失敗が、
国家レベルで未処理のまま残されているからである。
わたしたちは、
敗戦を失ったのではなく、敗戦を語る主体を失った。
国家が語れないとき、国民もまた語ることを失う。
そして語ることを失ったわたしたちは、
今度は「語らないことで安定する記憶」を反復するようになる。
こうして、祖国の記憶はアーカイブされないまま、
次の世代へと沈黙の形式で継承されていく。
それは、もはや記憶ではなく、喪失の連鎖である。
ここにおいて、「亡命する日本人」という感覚は、
単に国を失った者の比喩ではなく、
語りうる記憶を持たない国家に生きる者の構造的ポジションとなる。
記憶が語られず、喪が遂行されず、
責任が誰にも帰属しない社会において、
国民は形式的に存在していても、語りの主体としては亡命状態にあるのだ。
では、わたしたちはこの記憶の空白をどう語り直せばよいのだろうか?
次の節では、記憶を再構成するための語りの形式=倫理的物語化の可能性について考えてみたい。
語られなかった記憶を、どう語り直すか
国家において、記憶とは制度である。
そして、記憶を制度として成立させるためには、アーカイブ(記録)と語り(物語)が不可欠だ。
しかし、戦後日本では、アーカイブが断片化され、物語が抑制された。
公文書は残されなかった。
裁判は軍部や一部の政治家を裁いて終わり、
「誰が国家を語る主体だったのか」という問いには、答えが与えられなかった。
まるで、戦争そのものがひとつの“自然災害”だったかのように語られた。
被害者は語られても、加害者は不明のまま。
国家は責任を取らず、記憶は個人任せにされた。
それが、わたしたちが今も抱える「記憶の裂け目」の構造である。
物語がないところに、記憶は残らない。
語られなかった過去は、存在しなかったかのように振る舞う。
しかし、語られなかったからこそ、
その過去は幽霊のように語り手に取り憑く。
わたしたちは、語られなかった祖国の歴史に、
いまも深く支配されている。
それは、忘れたから消えたのではない。
語らなかったから、消えずに残りつづけているのである。
ラカン的に言えば、それは対象aとしての記憶だ。
失われ、象徴化されなかったがゆえに、
現実の中に幻のように現れ、主体を揺さぶりつづける。
では、わたしたちはこの「記憶の喪失=語りの断絶」をどう乗り越えるべきか?
必要なのは、「正しい物語」を書くことではない。
むしろ、語りうる形で“語れなさ”を構成することである。
国家の記憶が空白であるならば、
その空白を空白として語るための倫理と形式――
それが、ラカンサルヴァティズム的レコンフィギュラシオンの核心にある。
語りとは、欠如を埋めるものではない。
欠如を認識し、その周縁をなぞることで、初めて主体は語りの輪郭を得る。
わたしたちは、敗戦を語るときに、
「完全な加害者」「完全な被害者」「完全な犠牲者」という三項を使いたくなる。
だが、そうした語りは常に「像」を作ってしまい、
現実の複雑さ、沈黙、矛盾を封じ込めてしまう。
わたしたちが必要としているのは、
語りきれないことを語り得る文法だ。
喪失の構造を、説明ではなく物語として編む形式。
あるいは、語らないことを内包した語り。
それこそが、ラカンの言う「詩的主体=裂け目にとどまりながら語る者」に最も近い。
祖国の再構成とは、
国家像を取り戻すことではない。
喪を遂行しきれなかった国家を、
喪の途上にある国家として語り直すことである。
そしてわたしたちは、
その不完全な語りのなかに、
初めて祖国の言語=沈黙を含んだ語りを見出すことができるのではないか。
次章では、この“語りの空白”がいかにして戦後の「自由」や「民主主義」の言葉そのものに影響を与えたかを見ていこう。
自由とは、語ることである。
だが、自由な国において語られてこなかったものがあるとすれば――
それは本当に自由と呼べるのだろうか?
第三章 言葉なき自由――戦後民主主義と言語の解体
わたしたちは、自由を与えられた。
だがその自由を、どう語ってよいかわからないまま育った。
「戦争をしない国」「基本的人権の尊重」「国民主権」
教科書に並んでいた言葉たちは、
疑う余地のない“正しい言葉”として存在していた。
だが、それらの言葉の根元を問う声を聞くことはほとんどなかった。
なぜ戦争をしないのか?
どのように人権を守るのか?
主権とは、誰がどう使うのか?
語られず、問われず、ただ掲げられるだけの言葉。
そうした「浮遊する理念」が、
わたしたちの“自由”のイメージを形づくってきた。
理念はある。
だが、言葉がない。
それは、空白の理念に、空語だけがぶら下がっているような風景だった。
戦争責任は語られない。
象徴は語られない。
記憶も語られない。
そんな沈黙の土台の上に、「自由」「平和」「民主主義」といった理念だけが
語られることを拒否されたまま浮遊している。
これは、語ることで成り立つべき民主主義が、「語られない自由」と化している状態である。
ラカンの言うところの「シニフィアンの浮遊(glissement du signifiant)」とは、
意味の体系が根底から崩れたときに、言葉が記号として自己運動し始める現象だ。
それは、言葉が“何かを指す”ことをやめてしまったときに起きる。
戦後の日本において、「自由」という言葉は、
語ることの権利ではなく、語らないことの正当化として使われるようになった。
語らない自由。
考えない自由。
責任を問わない自由。
その結果、「自由」という言葉そのものが、
意味の輪郭を失い、“空語”として自走しはじめた。
語られるべきであった自由の根源、
それは「何と対立し、何を克服して得られたのか」という歴史的記憶だった。
しかしその記憶は沈黙のなかに封じられ、
自由は「歴史的であること」を放棄した。
自由が語られないまま理念化されたとき、
それはもはや倫理ではなく、ブランドのようなものになってしまう。
戦後民主主義は、「理念を守ること」に失敗したのではない。
むしろ、「理念を語る言葉を生成すること」に失敗したのだ。
なぜなら、語る主体が語りの中心=象徴を喪っていたからである。
言葉の源泉を喪った主体は、
どれほど正しい理念を掲げても、
それを語る力を持たない。
それは、自由を持ちながら、自由を語れない国家という矛盾そのものだった。
わたしたちは、自由を手に入れたのではなく、
自由が何であるかを問うことを忘れた。
これは沈黙の中で生まれた民主主義であり、
語られなかった倫理が、制度のなかで凍りついたまま放置されてきた結果である。
では、自由を再び語るにはどうすればいいのか?
次節では、自由を語る言葉を失った社会において、
語りの復元=レコンフィギュラシオンの条件を探ってみたい。
自由を語り直す――倫理としての言語、名づけ、主体の回復
自由とは、選択の可能性ではない。
自由とは、語りの可能性である。
わたしたちは、何を選ぶかを問われてきた。
だが、どのような語りを構成するのかを問われることはなかった。
戦後民主主義の下で、自由は「与えられたもの」として機能した。
それは、問いを発するものではなく、
すでに完成した「枠組み」として提示された。
結果として、わたしたちは自由という語に依存するが、自由という語を作れない主体になってしまった。
ラカンにおいて、「名づけ(nomination)」とは、
シニフィアン(記号)に主体が位置を与える行為である。
それは単なる記述ではなく、象徴秩序に介入する創造的決断である。
「私はこう語る」「このように呼ぶ」
その行為によってこそ、主体は自由の空間に出現する。
名づけるとは、責任を引き受けることであり、
語るとは、裂け目のなかに身を置くことである。
だが、戦後のわたしたちは、「語ること」そのものを避けてきた。
自由とは、「語らなくてもよいこと」のように思われてきた。
それは、自由の倫理ではなく、自由の無力化だった。
語るとは、暴力ではない。
語るとは、裂け目を可視化することである。
「語ってしまえば壊れる」ものを、
それでも語るには、語るための倫理と形式=詩的構文が必要になる。
ここでラカンは「詩的機能(fonction poétique)」を重要視する。
それは、「語りきれないことを語る」ための構文であり、
沈黙を破壊せずに沈黙を内包する言語の運動である。
わたしたちにとっての自由とは、
まさにこの「詩的語り」の形式によってしか再構成できないのではないか。
戦後日本において、「詩」は政治から遠ざけられ、
「政治」は言語から遠ざけられた。
それが「語りなき自由」を制度化した真の構造だった。
今、わたしたちは、
「語られなかった祖国」について語るために、
語りそのものを倫理として再建する地点に立っている。
それは「戦後民主主義を乗り越える」というようなイデオロギー的主張ではない。
むしろ、民主主義を語りなおすための倫理的再出発=レコンフィギュラシオンである。
自由は、裂け目を語る力によって初めて主体化される。
わたしたちは、語ることで自由を手に入れるのではない。
語らなかったことを語り直すことによって、
ようやく自由がわたしたちの言葉となりはじめるのだ。
次章では、
この「語り直された祖国=倫理としての国家」について、
構文としてどう可能なのかを考えていきたい。
国家を語り、象徴を持たず、制度を更新しながら、
なお祖国としての実在を保ちうる国家とは何か。
そこに、わたしたちが亡命者であることをやめずに、
それでも「帰属」を語る可能性が開かれている。
第四章 祖国を語り直す――レコンフィギュラシオンの倫理
わたしたちは、祖国を取り戻したいのではない。
祖国を語り直したいのである。
その語りは、過去の復元ではない。
制度の模倣でも、理念の再宣言でもない。
それは、欠如を欠如として認めたうえで、なお語ることをやめない姿勢――倫理としての語りである。
これまで、わたしたちは
象徴が語られないことによって、
記憶が弔われず、
自由が名づけられず、
主体が亡命状態に置かれてきた構造を見てきた。
そのなかで、わたしたちは次の問いに立ち向かう。
祖国とは、どのように語られうるか?
欠如を埋める像ではなく、
欠如とともに生きる形式として――
ラカンにおいて、倫理とは「享楽を断念すること」ではなく、
欲望を最後まで引き受けることである。
国家においても同じことが言える。
それは「完全な国家像」を回復することではなく、
国家という欲望の構造が裂けたままでも、
なおそれを語り続けることが、国家の倫理である。
この視点から見たとき、祖国とは:
- 完成された共同体ではなく
- 欠如を共有する語りの空間であり
- 誰もが“語る責任”を負う象徴の場である
このような「語りの祖国」は、
軍事力や経済、制度では測れない。
むしろそれは、国家の詩的機能としてしか成立しない。
詩とは、意味を語りきらずに意味を創出する構文である。
祖国もまた、語り尽くされたときに壊れる。
語りきれないからこそ、なお語り得る何かとして持続する。
祖国を詩のように扱うということは、
それを神聖化することではない。
むしろ、意味の裂け目を維持しながら、共同体を支える倫理的実践なのだ。
では、その語りの構文はどのように設計されうるか?
ここで重要になるのが、空白を前提とした制度構造である。
空白を埋めるのではなく、制度の中に空白を制度的に配置するという設計思想。
例:
- 憲法に「明示的に語られない象徴性」を残すこと
- アーカイブの空白(欠失資料)を記録として残すこと
- 失敗の記憶を「負の形式」として継承する機関の設立
このように、欠如そのものを制度化することで、語りの構文は国家構造と結びつく。
最終的に祖国とは、「存在する場所」ではなく、
語ることが許される構文の総体である。
そしてわたしたちは、
沈黙によって制度化された祖国に、
いまこそ、語りの構文を差し込まなければならない。
それは大声で叫ぶことではない。
正義を振りかざすことでもない。
それは、
沈黙を引き受けながら語る者たちの、
静かな倫理的抵抗であり、
亡命の中で帰属を選び直す、言葉による祖国の再創出である。
次章では、その「語る者」の姿=亡命する主体の政治的存在としての可能性、
すなわち語らない沈黙・拒否の論理・裂け目から生まれる政治を掘り下げていく。
祖国を語るとは、
国家の倫理的空白を引き受けたまま、なお生きることである。
そしてそれは、語るだけでなく、語らないという選択にも意味を与える。
第五章 亡命者の政治――沈黙・拒否・裂け目における主体
祖国を語り直すとは、
国家の中心に欠如があることを認め、
それでもなお語る構文を再構成することだった。
だが、ここで忘れてはならないのは、
語り直すことそのものが、常に可能なわけではないということだ。
むしろわたしたちは、
語ることができないまま、それでも主体であることを求められる場面に生きている。
沈黙せざるを得ないとき。
拒否しか残されていないとき。
矛盾の裂け目で立ちすくむとき。
そこにこそ、亡命者の政治が始まる。•
政治とは、意見の表明だけではない。
時にそれは、語らないという選択のなかに現れる。
外交において「明言しない」ことが戦略であるように、
社会的にも、国家的にも、語らないという沈黙が力を持つことがある。
日本は、こうした「沈黙の政治」を得意とする文化圏だった。
— 明確に断らず、可能性を残す
— あえて説明しないことで、相手に語らせる
— 拒否を明言しないことで、対立を回避する
これは曖昧さではない。
むしろ、語られた言葉の背後に倫理的重みを乗せる構文的技術である。•
ラカンは、沈黙を単なる言葉の不在とは考えない。
沈黙とは、語りの構文における空白の場=主体が自らを構成しうる裂け目である。
沈黙は、自己放棄ではない。
沈黙とは、語らないことによって語る、言語の極限である。
それは、沈黙が暴力と無関係でいられる場合に限られる。
国家に殺されない自由。
思想の自由が保証される制度。
つまり、「語らぬことが語りとして機能しうる空間」が必要なのだ。
わたしたちがこの空間を守り、拡張しようとするとき、
そこに亡命的主体の政治性が立ち上がる。•
拒否とは、排除ではない。
拒否とは、参加の別の形式である。
YesでもNoでもなく、
「沈黙」という形で応答する。
それは、語ることに巻き込まれないための防衛ではなく、
語られる構文自体への異議申し立てである。
だからこそ、亡命する主体は、
国家と敵対するのではなく、
国家の語りの外縁にとどまりながら、語り方そのものに異議を差し込む者となる。
国家の倫理的更新とは、
意見の数を増やすことではなく、
語りえないものを、語らぬまま許容する構文を持つことである。
この構文を維持することこそが、
自由の本質であり、民主主義の空間であり、
亡命者が亡命者のまま、共同体にとどまることを可能にする唯一の道である。
わたしたちは、自由を語るだけではなく、
語らないことで守られている自由にも責任を持たなければならない。
それが、
亡命者の政治であり、
ラカンサルヴァティズム的実践の最後の形式である。
そしてその責任の受け皿となるものこそ、
「象徴なき象徴としての祖国」であるべきなのだ。
次章では、わたしたちが「帰還」ではなく、
語ることで祖国を“持ち直す”方法――
ラカンサルヴァティズム的帰属の形式を探っていく。
亡命とは、国を離れることではない。
祖国を語れないまま、それでもそこにとどまり続けることなのだから。
終章 帰属なき帰還――ラカンサルヴァティズム的祖国論のために
わたしたちは、亡命していた。
けれど、それは国を離れていたからではない。
語ることができないまま、祖国にとどまっていたからである。
語れぬ象徴。
果たされぬ喪。
名づけられなかった自由。
そして、沈黙に閉ざされた政治。
わたしたちは、
祖国の中心にあった語られぬ裂け目のまわりを、
言葉の輪郭で、静かになぞってきた。
かつて、祖国には「神聖不可侵」という言葉があった。
それは超越を意味したのではない。
むしろ、責任を免責するための制度的な空白だった。
その空白は、敗戦後の制度に継承され、
象徴天皇制という「語られない中心」を創り出した。
わたしたちは、その沈黙の中で、
国家の構文を継承した。
つまり、「語らないことでしか帰属できない」
亡命的な国民として、生きてきたのだ。
だが、沈黙は、罪ではない。
語らないことは、逃避ではない。
それは、語ることが許されなかった構文のなかで、
なお語り続けようとする者の倫理的態度である。
ラカンサルヴァティズムが示すのは、
欠如を埋める像を求めるのではなく、
欠如のなかにとどまりながら、語り得る裂け目を再構成することだ。
祖国とは、完成された像ではない。
祖国とは、語ることの不安と、それでも語ろうとする意志とのあいだにある。
それは詩のように、
空白を孕みながら、かすかな形式を保つもの。
わたしたちは、
帰還することはできない。
なぜなら、わたしたちは一度も祖国から離れていなかったから。
けれど、わたしたちは、
祖国と共に「語ること」を持ち直すことはできる。
語らぬまま継承された制度、記憶、倫理、構文――
それらに再び手を伸ばし、沈黙のまま語り始めることはできる。
それが、ラカンサルヴァティズム的祖国論の結論である。
祖国は、すでにあるのではなく、
語ることによって、その都度生成される関係性である。
わたしたちは、亡命者のまま、祖国を語る。
欠如のまま、祖国を思い出す。
語らないという形式のなかに、
新しい共同体の詩的構文を差し込む。
沈黙を引き受けたわたしたちは、
帰属なき帰還者として、いまようやく語りはじめるのだ。
あとがき
語られなかった祖国とともに
この本は、
わたしたちが語ることができなかったことについて、
どう語りうるかを模索し続けた記録である。
祖国とは何か?
それは、国家の地図や制度を指すのではなく、
わたしたちが言葉のなかで受け渡してきた構文の総体である。
その構文は、戦後という沈黙の時間のなかで、
語られぬままに継承された。
わたしたちは、その沈黙を否定するのではなく、
その沈黙が象徴秩序のひとつの形式であると認め、
そのなかで語りを編み直そうとした。
本書は一冊の思想書であると同時に、
わたしたち自身の亡命記録でもある。
祖国のなかで祖国を喪失し、
言葉のなかで言葉を失い、
制度のなかで構文を見失った者たちが、
再び語りの縁をなぞるために起こした試みだった。
それは懐古でも反抗でもなく、
ひたすらに欠如の中にとどまり続ける倫理としての、
ラカンサルヴァティズム的構文だった。
最後に、祖国を語るすべての人へ。
そして、
祖国を語ることができないまま、
それでもなお黙って耐え続けた人々へ。
この書が、
あなたの中に残る語りえぬ祖国と、
静かに、しかし確かに共鳴することを願っている。
わたしたちは、亡命者のままでいい。
亡命者のまま、語り続けていいのだ。
その言葉の余白のなかにこそ、
新しい祖国のかたちが、
もうすでに芽吹きはじめているのだから。
―― プロジェクトEthoMath
平成一桁生まれの、
亡命する日本人たちより
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