プロジェクトEthoMath:数理哲学と精神分析の融合を探る

プロジェクトEthoMathについて:理念と活動紹介

プロジェクトEthoMathとは

EthoMath(エトジェネティック・マセマティクス)は、

哲学、数学、詩学、精神分析、制度設計、政治思想、教育理論などを横断する、

複数の若手研究者による学際的な共同プロジェクトです。

本プロジェクトは、「数学」「詩」「倫理」「制度」「生の構造」という主題群を、

共通の問い=『生きるとは何か』のもとに接続し、

新たな理論的・実践的枠組みを生み出すことを目的としています。

なぜ数学と詩なのか?

EthoMathでは、次のような基本的立場を取ります:

  • 数学とは、世界を語る言語ではなく、
     構造そのものを生成する原理である。
  • 詩とは、語れなかった裂け目を震わせ、
     欠如に意味を与える行為である。

このように、数学と詩は一見正反対に見えながら、

ともに「欠如」を媒介として互いを補完し合う双対的な形式です。

数学は、秩序と構造を立ち上げる「普遍的な形式」であり、

詩は、構造に潜む裂け目やゆらぎを響かせる「特異的な実践」です。

この構造とゆらぎのあいだにある生成こそが、生を構成する基本単位であると私たちは考えています。

三つの思想的柱

EthoMathは、次の三つの命題を柱とし、その実践と理論を展開しています:

  1. 数学することは、生きることである。
     構造は抽象ではなく、生のリズムそのものである。
  2. 幸福とは、欠如を持った自分を許すための物語を編むことである。
     幸福は結果ではなく、語りの形式であり、生成のプロセスである。
  3. 欠如は、詩と数学を貫く不変の中心であり、
     私たちを生成へと導く唯一の不変量である。

     制度・倫理・言語はすべて、この裂け目から始まる。

EthoMathの理念

詩は語れなかったことを言葉にし、

数は構造を与えることで、

欠如のまま生きる私たちに赦しと希望をもたらす。

EthoMathは、生きることを思考し、

思考することが誰かの赦しとなるための哲学です。

マニフェスト

われわれは、

完成された構造や普遍的理念の上に立つのではない。

むしろ、名づけえぬ喪失や、語られなかった沈黙の只中に、

言葉を灯す者である。

われわれは学者ではない。

アカデミックな体系を超え、

人生というフィールドワークの現場で、裂け目を引き受けている。

知るためではなく、赦すために。

証明するためではなく、生成するために。

記述するためではなく、住まうために。

精神とは、死を拒むものではない。

裂け目を避けるのではなく、その裂け目に足を置くこと。

意味を失った空間に、名づけを編み、

証明できない真理の前で、沈黙を抱きしめること。

数学とは、世界を記述する言語ではなく、

秩序なき生を、赦しとして構造化する詩である。

詩とは、言葉になる前の痛みが、形を得る一瞬である。

そして幸福とは、

欠けたままの自己を赦しの物語として編みなおすことである。

われわれは分析者ではない。

観察者でもない。

世界の「外部」から語るのではなく、

裂け目の中で、生の生成に参与する。

EthoMathとは、

問いの地図ではない。

問いそのものの中で暮らし、

その空白に、数と詩と倫理の家を建てる試みである。

この思想は、理論ではない。

これは、生き方そのものである。

われわれは、この裂け目から始める。

ここに住み、ここに生成し、

ここから、まだ名づけられていない幸福のかたちを、共に描く。

(Dr.nobody、2025年、地上にて)

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