人生に意味はあるのか?

暗闇の地図

まずはじめに、結論を言います。

人生に意味なんて無い

このように言われると、がっかりするでしょうか。絶望するでしょうか。

しかし小学生の時から15年以上悩み続けた私はそう確信しています。

しかも全く絶望を感じていません。

むしろ、人生に意味なんて無いと確信できた時、とても清々しくて気持ちが楽になったことを覚えています。

今、人生の謎に悩んでいるあなたにも、同じ経験を味わってほしい。それが本ブログの目的です。

人間なら誰しも悩みます。

その哲学的な悩みには必ず終わりが来ます。

終わりとは、死や破滅のことではなく、すっきりとした解放感に至ることです。

しかしそのためには、納得できるまで悩み抜く必要があります。

悩み続ける日々は、暗闇の中を手探りで歩むようなものです。

私にできることは「暗闇の歩き方」、すなわち「暗闇の地図」を提供することです。

もちろんこの地図は、あくまで私個人が歩んだ地図です。

人生には人の数だけ道筋があるはずです。

だから「これが正解」という答えを提示するつもりはありません。

しかし私が辿った道筋を皆さんに伝えることで、自分自身を救う一助として頂きたいのです。

このブログでは、

無意味な人生を受け入れて、人生の意味を自分で決めて生きるため

に私が書いた「暗闇の地図」について解説します。

「人生の意味」を渇望した子供時代

恥ずかしいのですが、まずは自分の生い立ちからお話していきます。

私の父はスポーツマンでした。父の家系がそもそもスポーツ好きでした。

息子の私にもスポーツをやらせたかったらしく、小学生の時に少年野球のチームに入りました。

しかし私は運動が苦手で嫌いでした。

体力がなく、根気もなく、集中力もなかったのです。

毎週土曜日と日曜日は練習や試合があったので、友達と遊びたくても遊べませんでした。

練習に行くのが嫌で、泣いて母にすがり付いたこともあります。

試合で活躍できなかったら、近所の公園で父親から千本ノックを受けさせられました。

小学生時代は本当に嫌な記憶しかありません。

そんな私は「何のために生きているんだろう」だとか、「何で生まれてきたのだろう」だとか、

親の期待に答えられない自分は、「生きている意味がないんじゃないだろうか」と考えるようになってしまいました。

そして中学生になってからは、自分という存在に価値がほしくて医者になりたいと考えるようになりました。

医者なら、人から頼ってもらえるからです。

やがて科学の道を志すようになり、第一志望の大学に入ることができました。

しかし生きる意味や、宇宙の存在理由についての謎はずっと抱えていました。

生きる意味がないと、不安で不安で仕方がなかったのです。

宗教に魅力を感じたことは何度もありました。

世界中の宗教を調べ、教典を読み、色々な集会に参加しました。

しかしどれも納得できませんでした。

答えなんてないと気づくまで

大学時代、西洋哲学にも興味を持っていたので、近代以降の哲学について色々と調べていました。

そして、「父なる神から独立して個人主義を唱え始める西洋哲学」の歴史と、

「絶対的に自分を支配していた父から精神的に自立して、生きる道を模索し始めていた自分」の姿が、

重なって見えるようになりました。

そして実存主義を明確に打ち立てた哲学者ジャン=ポール・サルトルを知り、サルトルに共感しながらも後に袂を分かつこととなる作家アルベール・カミュの存在に辿り着きます。

カミュについては後の記事で詳しく紹介しますが、彼の人生観(不条理との向き合い方)に感銘を受けます。

私が探していたものが見つかった瞬間でした。

なぜ答えがないのか

同時に20世紀後半の哲学者ウィトゲンシュタインの言葉にも救われました。

こちらも別の記事で詳しくお話しますが、「語り得ぬものには沈黙せねばならない」という彼の箴言は、

「なぜ人生の疑問には答えがないのか」という謎に対する答えとして私には受けとれました。

なぜ答えが欲しかったのか

大学生時代に不安障害を発症しました。

病院にも通って精神安定剤を服用し、カウンセリングも受けて症状は少しずつ収まっていきましたが、

根本的な治療になっているとは思えませんでした。

そんな折にフロイトの精神分析というものを知りました。

精神分析の知識は、「なぜ同じ間違いを繰り返してしまうのか」「人間はいかに不完全な存在か」「なぜ生きる意味がほしかったのか」、

などの疑問を解明してくれます。

そして自分の育てられ方が、どれだけ自分の心を歪めていたかということにも気付きました。

答えがなくてもいい!

そして仏教哲学です。

たまたま立ち寄った書店で仏教哲学の本に出会いました。

それまで仏教は、迷信と同じようなものだと思っていました。

しかしその本には、釈迦がどんなことに悩み、何を実践し、どんな結論に至ったのか、その知恵がどうやって人生で使えるかについて書いてありました。

これまで「生きる意味」を渇望し、そんなものが無いことを受け入れ、

なぜ「生きる意味」が欲しかったのか、自分の心を分析してきました。

最後はそんな自分の性質を理解して、「生きる意味」を手放す必要があります。

すなわち、「何の正当性もない現実に図々しく居座る自分を許す」ということです。

人生に意味も価値も目的もない。世界がなぜ存在するのか、その大いなる謎にも答えなんてない。

そんな現実で生きている自分を許す覚悟が必要なのです。

仏教哲学はそのための知恵を授けてくれました。

まとめ

長々と自分語りをしてしまいましたが、以上が「暗闇の地図」の概略です。

まとめると、

  • カミュによって「人生に意味なんてない」ことを教えられ、
  • ウィトゲンシュタインに「なぜ答えに辿り着けなかったのか」を気付かされ、
  • 精神分析が「なぜ答えを渇望していたのか」を説明してくれ、
  • 仏教哲学が「生きる意味も価値も目的もない」現実で生きている自分を許す方法を与えてくれました。

これから各テーマ毎に詳しく解説していきます。

興味のある記事だけつまみ食いのように読んで頂いても構いません。

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