不条理ってなに?
まずはじめに、不条理という言葉をご紹介します(すでにご存知の方は読み飛ばして下さい)。
このブログをご覧になっている方は、
- 「なんのために私は生まれて来たのか?」
- 「なぜこの世界は存在するのか?」
- 「人が生きる意味とは何か?」
などの哲学的な疑問に悩んでいる方が多いでしょう。
不条理とは、今まさにあなたが抱えているそういった悩みには答えが無い、という現実の事です。
辞書的に答えると、「世界に意味を見いだそうとする試みは、必ず失敗する」といったところでしょうか。
不条理の歴史
不条理という言葉は哲学や文学の世界でよく使われる言葉で、古くは二世紀頃に、テルトゥリアヌスというキリスト教神学者が言及しています。
テルトゥリアヌスは「不条理ゆえに我信ず」という有名な言葉を残しました。
これはイエス・キリストが起こした奇跡を、それが理性では説明の付かない現象だからこそ信じる、という意味だそうです。
近代に入ってからは、
- セーレン・キェルケゴール(1813~1855 デンマーク 哲学者)
- フランツ・カフカ(1883~1924 チェコ 小説家)
- ルイ=フェルディナン・セリーヌ(1894~1961 フランス 小説家)
- ジャン=ポール・サルトル(1905~1980 フランス 哲学者 作家)
- アルベール・カミュ(1913~1960 フランス 作家)
といった人物が不条理をテーマに作品を残しています。
ヨーロッパ、つまりキリスト教文化圏での重要なテーマだったのですね。
次の記事でこの人たちがどうやって不条理と向き合ったかについてお話します。
哲学での不条理
哲学における不条理は、キリスト教神学に起源をもつようです。
神学とは、「聖書を通して、創造主である神と被造物である人間との関係性について考える」学問です。
近代以前は、人が生まれた意味や、世界が存在する理由を神の全能性によって説明しようとしていました。
それに対して近代以降は、個人の存在に焦点を当てて生の理由を考えるようになります。
その嚆矢はデンマーク人のセーレン・キェルケゴールです。
また第二次世界大戦後には、フランスで哲学が盛んになり、ジャン=ポール・サルトルなどによって、
実存主義という立場から語られることもありました。
文学での不条理
文学における不条理は、ナンセンスな演出や、残酷な現実を表現するために用いられることが多いです。
例えば
- フランツ・カフカ『変身』
- ルイ=フェルディナン・セリーヌ『夜の果てへの旅』
- アルベール・カミュ『異邦人』『ペスト』
- 安部公房『砂の女』『壁』
などです。
また第二次世界大戦後、「不条理演劇」と呼ばれる舞台が生まれ、
- ジャン=ポール・サルトル『出口なし』
- サミュエル・ベケット『ゴトーを待ちながら』
などの戯曲が有名です。
まとめ
不条理とは「世界に意味を見いだそうとする試みは、必ず失敗する」という残酷な現実のことです。
特に近代以降、ヨーロッパの哲学者や文学者にとって大きなテーマとなり、さまざまな議論がなされました。
しかし、不条理というテーマは決して過去のものではなく、今を生きる多くの現代人も抱えている、人類の普遍的なテーマだと思います。
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