21世紀の政治的・文化的状況において、保守主義は再びその根源的意味を問い直されている。かつて「古き良き秩序」や「伝統の保守」として理解されたそれは、グローバリズムの加速、情報技術の爆発的発展、価値観の相対化、さらには人間存在そのものの不確実性といった問題を前に、単なる反動的態度では応じきれない深刻な危機に直面している。こうした時代においてこそ、「無意識は言語のように構造化されている」と喝破した精神分析家ジャック・ラカンの理論が、逆説的にも「保守」の新たな地平を切り拓く可能性を秘めていることは、十分に検討に値する。
本書が提唱する「ラカンサルヴァティズム(ラカン保守主義)」とは、ラカンの構造主義的精神分析を基盤としつつ、ポストモダン以降の「解体主義」的態度を乗り越え、象徴秩序・父性機能・国家・宗教・教育といった文化的・制度的媒介装置の再評価を通して、現代における倫理的・政治的再構築を試みる思想的立場である。
既存のラカン派の左派的展開――特にヤニス・スタヴラカキスらが展開する「ラカニアン・レフト」においては、ラカン理論を主体の解放、政治的闘争、文化的差異の承認といった課題へ接続することに力点が置かれてきた。しかし、そこでは「無意識の他者性」が単なる差異の肯定に矮小化され、象徴秩序の基盤としての「名-の-父」や「現実界」への配慮が欠落しがちである。結果として、「享楽の無限拡大」や「意味の奔流」といったポストモダン的カタストロフィを制御する術を持たず、むしろ加担するかたちとなってきたのではないか。
「ラカン保守主義」は、ラカン理論の根底にある「主体の分裂」や「法の媒介性」、「享楽の構造」といった洞察を、個人の成熟、社会秩序の維持、そして共同体の再生という観点から再読しようとするものである。すなわちここでは、「解放」ではなく「媒介」、「脱構築」ではなく「象徴化」、「断絶」ではなく「倫理」をキーワードとして、新たなラカン的政治理論の地平を提示する。
本書の目的は、この「ラカンサルヴァティズム」という概念を、単なるラカン理論の応用としてではなく、現代社会のさまざまな困難(国家、戦争、教育、宗教、アイデンティティなど)に対する応答として、また保守思想の更新として位置づけ、総合的かつ体系的に展開することである。
【序章:参考文献】
Jacques Lacan, Écrits(特に「フロイトの無意識とわれわれのもの」)
Jacques Lacan, Le Séminaire, Livre XI: Les quatre concepts fondamentaux de la psychanalyse
Yannis Stavrakakis, Lacan and the Political
Yannis Stavrakakis (ed.), The Lacanian Left
Edmund Burke, Reflections on the Revolution in France
Roger Scruton, How to Be a Conservative
加藤尚武『倫理学講義』
柄谷行人『世界史の構造』
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